私がいかにして心配するのをやめてエピフォンを愛するようになったか

 私はプレゼンテーションが苦手であるのに頼んでくる人があるので、やらなければならないことがある。仕事の一環としてやらなければならないのはまあ仕方ないけれども、お金をもらった上でプレゼンをやらなければならないこともあって、この場合は曲がりなりにも一度うんと言ってしまっているので後から断るわけにもいかない。

 プレゼンの何がいやと言って、求められているところがいまいちはっきりしないことがいやである。この範囲でこのレベルでお願いします、と言われてもできるわけではないのだがそれはそれ、またほとんどの場合、なんでも結構ですから好きなことを話してください!ということも言われるがそれはもちろん社交辞令なので、では無音を楽しんでくださいというわけにはいかないし、私がいかにしてエピフォンを愛するようになったかを話すわけにもいかない(そんなにエピフォンを愛してない)し、それとなく相手の望むものを話さなくてはならない。その辺の気遣いがいやである。肩コリがひどくなってしまう。

 ただし気をつかってもつかわなくても、肩コリがひどくなろうとなるまいと、私が話すことはそう変わらない。いろいろと気を揉んだ挙句、通り一遍の話にちょっと何か加えるくらいが関の山で、ああもう少しちゃんとやればよかったと終わってから反省するまでが1セットである。だから最初から心を無にして済ましてしまえば良さそうなものであるが、今のところ毎度煩悶を繰り返している。