イギリスにおいて、どのようにして都市が形成され、どのように世界の需要に対応し、どのように工業化してきたか、という本。おおむねわかりやすい。
本書で「成長パラノイア」という言葉が出てくる。未来は過去より便利で豊かで成長していなければならない、というような漠然とした、しかし強く残っている考え方のことかと思う。確かにそういう考え方は現代の日本人にはしみついている。文明的な生活をしている人なら多かれ少なかれ考え方の土台になっている。資本主義の土台と言ってもいいかもしれない。ここ200年くらいはこの「成長パラノイア」の波に乗っていた人類だが、それは必ずしも正しいとは限らない。良い悪いの話ではないが、このまま「成長パラノイア」でよよいのよい、と済ませるには無理が出てきた、限界が見えてきたのではないか、というのが現代のように思える。
現代が過去より便利で豊かで成長しているのは結構なことだが、現代と比べて未来もまたそうであるとは限らないし、そうでなければならないこともない。悪くない状態であれば停滞したって良いのである。
本書では最後にイギリスの衰退について述べている。大英帝国が解消されて以降、イギリスは衰退しているのか?世界での発言力は落ちてきているかもしれない。それでも例えば平均寿命は延びているだろうし、生活面ではどうだろう?少しは便利になっているのではないだろうか。つまり何をもって衰退というか、衰退とは何か?ということが重要なのである。
であれば停滞ということも同様で、経済的には停滞しても、他の面を伸ばすことを考えても良いのではないか。物事は常に一面だけではない。月収は20万円のまま変わらなくても生活にかかるお金が減れば実質的に増収と同じことである。お金に例えている時点で私の頭も資本主義に囚われていると思わないでもないが、世の動きがこのような方向で動いていけば、そしてその考え方が個人レベルにまで染みこんでいけば、より良い落としどころが見つかるのではないだろうか。