世間とは何か

「中年男性ってどうしてあんなに汚らしいのですか」という女子学生の問から始まる「世間」探求の書。
歌に詠まれた世間、徒然草における世間、真宗教団における世間、西鶴の作品にみられる世間、漱石荷風にとっての世間、等々、様々な角度から世間というものを捉えようと試みる。そのいずれも日本人にとっての世間であり、その変化は日本社会の変化でもある。愚管抄において『世と人は別のものではない。世は国の道理で善悪を定めたもの。人というのは私的な家の内のこと』と言い切っており、世という言葉には、あきらかになっている現実である「顕」と、それに対する目に見えない力の働き「冥」と、その二つが同時に内包されているものである、とされているのが日本人の感覚として的を射ているようで興味深い。それから徒然草における兼好の現代的な感覚にも驚いた。
以下は「世間とは何か」という問いに対する回答と思われる個所の抜粋。

日本の個人は、世間向きの顔や発言と自分の内面の思いを区別してふるまい、そのような関係の中で個人の外面と内面の双方が形成されているのである。いわば個人は、世間との関係の中で生まれているのである。世間は人間関係の世界である限りでかなり曖昧なものであり、その曖昧なものとの関係の中で自己を形成せざるをえない日本の個人は、欧米人からみると、曖昧な存在としてみえるのである。ここに絶対的な神との関係の中で自己を形成することからはじまったヨーロッパの個人との違いがある。

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