村上春樹、河合隼雄に会いにいく

村上春樹と河合隼男の対談。
コミットメントとデタッチメントということを考えると、適当な訳が見つからないけども平たく言えば関心/無関心、関係/無関係、とかそんなようなことになるのではないかと思う。なんでも平たく言えばいいというものでもないが、ちょうど良い言葉が見つからないのだから仕方がない。おそらく村上春樹もちょうど良い言葉が見つからないからカタカナにしているのだろう。
それはともかく、一般的に日本では聖徳太子の時代から個人よりも集団が重視されてきた。「和をもって尊しとなす」というやつである。それはもちろん為政者にとって都合が良いということもあるのだろうけども、日本列島という農作物を育てるのにわりあい適した場所で生きていくのにはそれが都合が良かったからだろう。西洋社会というのはその点、たぶん狩猟とか神との契約とかそんなようなところから来ていて、個人というものが実にしっかりと定義されているというか、社会的な地位を得ている。
集団に重きを置いていた日本は、明治、昭和という転回点を経て西洋化されることで、個人というものに重きを置くようになったわけだけども、いつの時代も単純な日本人は、ここにきて個人を尊重し過ぎて個人の自由と集団の規律のバランスが取れなくなってきている。この現象は平和ボケということもあるだろうが、西洋的な合理精神と西洋的個人主義の行き詰まり、というような形で取り上げられることが多い。ただ、行き詰まりというよりはそれを受け止めるだけのお皿ができていなかった、もしくはただ日本人に向いてなかった、と思わないでもない。
今後も引き続き西洋のように個人主義を昇華していくのか、それとも江戸の昔に回帰するのか。おそらくハイブリッドな折衷案を生み出すんだろうけども、一度そういったようなことを考え直すところにきている、とはいえるのではないかな。

村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)

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