自覚のない人たちの話

 3月半ばくらいからあれよあれよという間に忙しくなり、あれもこれもとやっているうちに年度末の棚卸が終わった。終わってみれば大したことなかったようにも思えるが、とりあえずスッキリ。そして今日から新しい一年が始まるので、心を入れ替えて頑張ろう!と思うのが毎年4月1日なのでこれはスッキリしない。

 今年になって内外でいろいろと人の入れ替わりがあった。せっかく仲良くなってもしばらくすると帰国したり転勤したりでいなくなってしまうのは海外生活の淋しいところではあるが、新しい知り合いもどんどん増える。体感では海外で働く人はなにかしら偏った人が多いので、面白い人に会うことが多く結構だが、悪い方に偏っているというか、日本で働くのは難しいでしょうね、という人も中にはいる。

 最近来た人ではハラスメントへの意識が低いというか、「男は外で働き、女は家で子育て」「長男は厳しく育てる」「ゲイは認めない」というようなことを、実際にはもう少しひどい表現で大声で話す人がいて、今時にしてはすごいなと思った。私も南の島での生活が長く、コンプライアンスの厳しい現代社会に適応できる自信は少なめなので他人のことは言えないのだけども、そんな私から見ても昭和という時代の悪いところを煮詰めたような人である。

 他にもバブル期のノリのままでそれを周りの人にも強要する人や、自らの輝かしいキャリアに固執する人もいる。どいつもこいつも共通しているのは、自分が他人の目にどう映っているかを自覚できておらず、自分はおかしいかもしれないなんて微塵も考えていない点である。なんかちょっと長所のようにも聞こえてしまうのは物事の裏表ということなのかもしれないが、つまり人目は気にした方が良いし人目を気にしなすぎる人は問題があることが多い。という経験則。マスクしない人にヤバい人が多いのと似ているが、そう思われるからマスクを外しづらいということにもなるので、それはまたちょっと別の話。