一筋縄ではいかないコーエン兄弟の西部劇『バスターのバラード』

監督・脚本:コーエン兄弟(2018 米)
出演:ジェームズ・フランコブレンダン・グリーソン、ゾーイ・カザン、リーアム・ニーソン、ティム・ブレイク・ネルソン、トム・ウェイツ
 コーエン兄弟の西部劇、とはいってもあまりお目にかかったことのないような一筋縄でいかない西部劇になっている。アメリカの時代を切り取るコーエン兄弟にとって西部劇に至るのは必然ともいえる。
 
 第一話、主人公バスターの爽やかで哀しい物語。歌ったり撃ち合ったりと忙しいバスターから目が離せない。どこかで見たことある人だと思ったらオー・ブラザー!ヨーデルを聞かせた彼だった。
 
 第二話、銀行強盗に失敗する男。泣き叫ぶ縛り首仲間に「初めてかい?」と尋ねるセリフのためだけに作られたと思われる一本。
 
 第三話、四肢が切断された若い男と興行師の話。ポーの小説っぽい雰囲気。見る者の想像通りに展開するのが怖い。
 
 第四話、金鉱を探す男。マイニングである。やっと見つけた金塊を前にして喜びに震えるトム・ウェイツの後ろに忍び寄る影。美しい大自然と美しくないトム・ウェイツの対比がまぶしい。
 
 第五話、運命に翻弄される若い娘。兄と新天地オレゴンに向かうはずが、兄が急逝し途方に暮れてしまう。何事にも優柔不断な娘だが、最期だけ判断が早かったのが皮肉である。 
 
 第六話、駅馬車に乗り合わせた五人の男女。最後の話は特に怪奇小説のようなぞくりとさせる雰囲気がある。全体的にもそういうのが好きな向きにはたまらない感じにまとまっている。おすすめ。
 
 ところで西部劇は日本でいうところの時代劇が相当するだろうか。時代劇の短編集といって思い浮かぶのは藤沢周平とか?この映画の内容的には南条憲夫のほうが近い。ただ日本の時代劇というと人情物方面が多く、ユーモアを感じさせるようなものは少ない。ブラックなユーモアというとさらに少ないない。あっても良さそうなものだが、たぶんない。椿三十郎はユーモアがあるがブラックではない。北野武座頭市はそういう方面を切り開きたかったのかなと思わないでもない。
 
 それからアメリカ人にとっての西部劇時代の常識というか感覚はどんなもんなのか。日本人が時代劇を見るときの常識、それは例えば刀を持ってたらお侍さんで、お百姓さんはお侍さんには逆らえない、みたいなものはあるのかな。我々が西部劇について知っていることはあまりにも少ない。