それは1914年のうららかな春、プロイセンで撮られた一枚の写真から時空を超えてはじまった―物語の愉しみ、思索の緻密さの絡み合い。20世紀全体を、アメリカ、戦争と死、陰謀と謎を描ききった、現代アメリカ文学における最重要作家、パワーズの驚異のデビュー作。
確か「現代アメリカ文学における最重要作家」という惹句にひかれて購入したような気がする。モースト・インポータントですよ。読みたくなるじゃない。で読んでみたら、うん、まあ、すごいな、と、わかった風を装いたくなる感じ。途中読んでは寝てを繰り返していたら1か月かかった。つまり令和になってからこれしか読んでない。
写真に魅せられた「私」と、写真の3人と、街で見かけた赤毛の女を追うメイズ、3つの話が交互に語られるリチャード・パワーズの長編小説。それぞれの話には写真家のザンダー、自動車のヘンリー・フォード、女優のサラ・ベルナールが物語の鍵として引き合いに出しつつ、近代から現代への変遷、戦争と平和、写真や車の技術、アメリカとヨーロッパなどが絡み合っていて、よくもまあ一つにまとまるものだと感心してしまう。
写真で切り取った情景には撮影者の主観が入るので客観的ではなくなるという話があって、それは歴史と似ているのである。歴史もまた記録を残すことで生まれるが、そこには記録者の主観が必ず入ってしまうので完全に客観的な歴史というものは存在しないのである。これはわりといろいろな人が言っていることで、完全な歴史が存在しないことの理由としてよく語られるところである。
時代に抗おうとする3人の農夫たちもヘンリー・フォードも個人の試みはすべて失敗に終わっている。現代の主人公メイズもまた例外ではない。ただメイズの例でいえば彼の試みは成功したとは言えないが、彼の生きていく上での損得勘定でいえば失敗したとも言い切れない。小さな失敗を糧に大きく前進したとも見れる。3人の農夫の一人であるピーター、ヘンリー・フォード、「私」も同じような結果を出していてこの辺に著者の思惑の一端が現れているような気がしないでもない。