七つの顔の漱石

夏目漱石と言えば千円札である。押しも押されぬ明治の文豪である。ここまで理解している人は多くいるけども、ではなぜえらいのか説明できる人となると少なくなる。私は現代日本語の基礎を作ったからと理解している。中学高校で古文を学んで「これが日本語か!?」という衝撃を受けた人はいないだろうか。古文漢文候文から現代文につながるミッシングリンクこそが夏目漱石なのである。
明治時代は江戸時代が終って西洋文化が本格的に雪崩込んできた時代である。それを日本語に取り入れていったのが「ベースボール」を「野球」と訳した正岡子規であり「I love you」を「月がきれいですね」と訳した夏目漱石らである。つまり日本のことも西洋のこともなんでも理解した超・知識人が西洋文化流入の際にフィルターとなったのである。同時に口語でもいいじゃない?と堅苦しい候文から口語文へと変化していき、口語文の小説という形を完成させている。これを近代日本語の父と呼ばずしてなんといおう、というぐらいの功績である。
卑近な例えでいえば、私の住んでいるマーシャルには当然ながら漱石に当たる人はいない。いないとどうなるかというとマーシャル語という文化は英語の前にもはや風前の灯火である。小説なんてものももちろんない。漱石の日本文化への貢献というのはかように計り知れないものがあるのである。ついでに言うと日本に「個」の考え方をもたらしたのも漱石であるといわれている。もちろん他の人も紹介はしていると思うが、『私の個人主義』などにみられる「個」の考え方は現代から見ても全く古びていない。これもすごい。
そんな偉大な夏目漱石の素顔を垣間見れるのが出久根達郎の『七つの顔の漱石』である。漱石マニアの筆者による漱石にまつわる話。奥さんの手紙の話とか。出久根さんのてにかかると文豪もただの気難しいおっさんである。ちなみに私は『自転車日記』のロンドンにいた頃の漱石が神経質で面白くて好き。

七つの顔の漱石

七つの顔の漱石