明治時代に南の島を探索した報告書は本物か『南洋探検実記』鈴木経勲

 マーシャル諸島で日本人漂流者殺害の一報を受けて、調査のため現地に送り出された外務省の役人、鈴木経勲の報告書。他に軍艦金剛の練習航海の記録として『南洋巡航日誌』も収録。本書は公式に日本とマーシャル諸島が関係した時の記録として有名。

 著者は英国捕鯨船エーダ号から報告を受けた外務大臣井上馨(!)から現地調査を命じられ、後藤猛太郎と共に同船に乗り込み、マーシャルへと向かう。現地で一行はラーボンという王様の下へ赴いて協力を仰ぐ。隙あらば私腹を肥やそうとする王様ほか現地住民をなだめたりすかしたりしながらも、とりあえず犯人らしい凶暴な酋長を捕らえることに成功する。王様の下に戻り、文明国としての処断を迫る著者一行だったが、時悪しく王様は不調を訴えたため、次回訪問時まで処分はお預けとなる。かわりに謝罪の使者として現地住民2名を日本に連れ帰ったが、寒さにやられて死んでしまった。

 以上がおおまかなあらすじだが、劇的に過ぎる。悪い意味で調子が良すぎる。というのも実はこの探検は本当に行われたものかどうか真相がわかっておらず、このため『南洋探検実記』は偽書扱いされているのである。実際著者が後に人に語ったところでは内容が違ったり結末が変わったり、いろいろと辻褄のあわないことになっているらしい。要するにこの著者が胡散臭い。さらに同行者の後藤猛太郎という人もかなり胡散臭い人なので、まあ疑われるに足るとは思う。

 ただし一から十まで全て噓かというとそうでもなく、『土人の言語』として収録されているマーシャル語は現在でも確認できる言葉も多く、すべては確認していないが全くの嘘というわけでもない。現地住民のくらしぶりや習性なども現代に通じるものが感じられ、実際に見聞したのではないかと思わせるには十分である。

 かと思うと明らかな間違いもある。下の図は「巨蟹の図」とのことで、著者はこの蟹に足を切られた現地住民をたくさん見たとしているが、こんな鋏を持った蟹はマーシャルにはいないし、足を切られる人もいない。おしりの形や椰子を切るという習性からヤシガニのことだとは思う(ちなみに背中はゴシキエビに似ている)が、本物は下の写真のような形をしている。似ていない。これについては間違いなく本物は見ていないだろう。

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おしりはヤシガニと、背中はゴシキエビと似ている。

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以前もらったヤシガニ


 またブーメランらしき道具についての記述もあるが、マーシャル諸島にブーメランの文化はない。オーストラリアと間違えたのだろうか。

 本群島の一なるマジュロ島に一種の鳥猟器械あり。その名を「ゲーチ」(土語)と称し、主に鉄木の二股になりたる部分を取りて製造す。その太さは我邦の擂木ほどにして、長さ二尺余、形は図のごとく、やや九十度の角度に曲りたるものなり。その使用法はあたかも鉈をもって木の枝を打ち伐ると同様に、その端を軽く持ち、野鶏等の草中より飛立つを認むれば、追迫してその距離を計り、これを投ずるに、曲木、鳥に命中すれば鳥とともに地上に落ち、もしその目的を誤るときは曲折して元の位置まで返り来るなり。(『南洋探検実記』より抜粋)

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間違いなくブーメラン。

 

 それから下記は椰子の実の食べ方についてだが、これは本当かどうか判定が難しい。
 

 土人は椰楈実をもって実食とす。これを製するには、椰楈実を採り、これを海浜の沙場に並べ、数日太陽に曝し置くときは、核内の水は凝りて一の芋のごとき塊をなす。これを割裂して、核を出して烈火の中に焼けば、核の堅き皮は焼き尽くして、内部の芋は黄色に炙れ、その味は芋を油にて揚げたるものと毫も違わず。土人はこれを喰らう事あたかも日本人が米を喰らうと一般なり。(『南洋探検実記』より抜粋)

 というのは『核内の水は凝りて一の芋のごとき塊をなす』は本当だが、砂浜に並べる必要はなく、その辺に転がしておいても同じことになる。また『核を出して烈火の中に焼けば』とあるが、この核に火がついたらものすごい火力になるので中の『芋のごとき塊』はひとたまりもなく燃え尽きてしまう。『土人はこれを喰らう事あたかも日本人が米を喰らうと一般』かどうかは当時のことなので何とも言えない。少なくとも現在のマーシャル人は米がないと生きていけなくなっているのは間違いない。

 以上のように、在住者の知識をもってしてもどこからどこまでが本当のことか非常にわかりづらい本である。さらに後藤猛太郎の方を追うと下記のような説もあるからややこしい。

ところが、別の史伝では違う。後藤は政府から受け取った経費1000円を自分の借金返済と壮行会で呑んで使い果たしてしまったというのだ。当然用意した船にも乗れなかった。そこで考えたのが、まだ手元にあった外務省の辞令。これを使って知り合いのオランダ領事から借金してノルウェーの漁船に便乗したのだという。
 そのうえでたどり着いたマーシャル諸島では大王カブワ・ラーボンに取り入り、日本の漂流民が殺された島へ渡って調査を行った。そして事実であることを確認したので、犯人としてラエ島の酋長ラリエら二人を船内に招き入れ酒を飲ませて拉致監禁してしまうのだ。
 そして横浜まで帰って来る。日本政府はびっくりだ。国際問題になる、と大騒ぎになるが、どうにもしようがない。そのうえ日章旗を立てた件も絡んで対応に苦慮する。ところが、肝心の拉致した酋長らは、日本の寒さに耐えられなかったのか秋には次々と死んでしまった。そのためうやむやになったという……。(「知られざる探検家列伝」より抜粋)

 

 巻の二に収録されている『南洋巡航日誌』は軍艦金剛の練習航海でハワイ、サモア、フィジーを回った時の記録。マーシャルほどの興味は持たなかったというのが正直なところだが、人肉食についての話がリアルな感じで興味深いというかここまでくると怖い。曰く人肉食をする人が必ず持っている深いお皿と長いフォークがあって、その理由が下記。

人肉は脂肪非常に多く、かつ鮮血流散して木葉上などには所詮置く事を得ざるをもって、図のごとく底深き木皿を作り、これに切取りたる肉を盛るなり。また手にてこれを食するは、膏血のために汚るるを避けんがため、かくのごとき肉刺を製造したるものなり。(『南洋探検実記』より抜粋)

せっかくなので木皿とフォークの図も。

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おしゃれな食器。

 

  昔の話を追いかけることは難しいのは歴史の常だが、どこまで本当かわからない話から当時の雰囲気を少しでも感じることはできるので、読んで損はなかったと思いたい。