ビキニ行ってきました・その1

日本の出張から戻ると、待っていたのはナオキくん。
「ビキニ行ってきてください。船で。」
私が不在にしている間、某テレビ局の取材について、ナオキくんにやりとりを任せていたのだった。その結果が前述のセリフ。驚いたのと冬の外海はマーシャル人でも嫌がるほど荒れると聞いていたので即答はできなかったが、ナオキくんに任せた以上、頑張りを無駄にはできぬ、と結局行くことになった。
7日土曜日に出発。船はWindwardというオーストラリア人か何かの持ち船で、いつもビキニ周辺までダイビング客を乗せて行ったりしているので手馴れていた。そのクルーたちは「この時期は荒れるよ〜」と言っていたが、聞かなかったことにして船に乗り込み、美味しい昼食を食べ、船酔いを未然に防ぐべく即ベッドへ。
しかしそのまま3日間ベッドから出られなくなるとは思わなかった。

まず船が揺れて歩けない。後で気づいたが、仰向けになって両手を挙げると胴上げされているような感じ。ただし終わらない。客室は最下層だったので食堂に上がることもできず、ご飯も食べられない。それからもちろん気持ち悪い。同じ動きならまだ耐えられるのだがあらゆる方向にゆれるので耐えようにも耐えられない。つまり為すがままに揺られながら眠り、ベッドから落ちそうなときはしがみつく、を繰り返す他無い。結局持ってきたキャラメルを1日1粒食べて過ごした。

そうして耐えること3日目の夕方、ようやくビキニ環礁に到着。起きて食堂に上がると料理人のインドネシア人ラジカウが「大丈夫か?」とコーヒーをくれた。すごく甘かった。その後少しだけ上陸した後にまた船に戻り、久しぶりにゆっくりと眠れた。
↓Windward。

4日目。ビキニ島に上陸。各実験農場を見て回る。詳しいことは会社のブログに書いたのでそちらで。会社のブログに書かなかったネタの一つに「日本人のお墓」がある。
現地ガイド・エドワードさんの話によれば、ビキニ島には日本人のお墓があるという。終戦後に2人の日本人が島に残りマーシャル人と結婚した。そのうちの一人のお墓らしいが、彫ってある日本語が読めないので教えてほしいのだそうだ。
私はそういう話が大好きなので勿論否やはなく、早速連れて行ってもらった写真が↓。おそらく本邦初公開。

正面には「千歳航空殉職二勇士之碑」と書いてある。エドワードさんの話と違う。

そして墓石の裏↓。

故海軍二等航空兵曹
(名前)故海軍三等
航空兵曹(名前)
本当沖合於三月二十一日
飛行訓練中殉職此
地ニ荼毘ニ付ス
昭和十五年三月二十二日
軍艦千歳


つまり太平洋戦争前に軍艦千歳の乗組員2人がビキニで練習中に亡くなったのでここに埋めます、というお墓であることが判明。ちなみに軍艦千歳は昭和13年に就役した水上機母艦で、昭和19年フィリピン沖で沈没。昭和14〜16年頃は南洋群島の巡航警備に従事していたというので、その途中の出来事らしい。実に興味深い話である。