特筆すべきは居心地の悪さ『もう終わりにしよう』

監督・脚本:チャーリー・カウフマン(2020 米)
出演:ジェシー・プレモンス、ジェシー・バックリー、トニ・コレットデヴィッド・シューリス

 ある冬の日、ひとりの女が交際中の男の自動車に乗り込む。男の名前はジェイクで、両親に恋人を紹介するために田舎に向かって車を走らせる。女はジェイクとの関係を終わらせることを考えており、そのことを伝えられずにいる。当初は上機嫌な二人だったが、真意を隠したやり取りを交わすうちに言葉少なになり、天候は吹雪になる。女は孤独で暗鬱な自作の詩を暗唱し、ジェイクは共感を表明する。
 ジェイクの実家では、女はジェイクの両親から歓迎されながらも、両親や家全体の不自然な調子に違和感をおぼえはじめる。ディナーの後になると女の目に映る異常さは調子を増していく。両親の年齢が急激に変化して見えたり、ジェイクと自分の体験が入り混じるような感覚に陥る。
 女とジェイクは吹雪のなか帰途に就く。ジェイクの希望で道路沿いのデイリークイーンに、次いでジェイクの母校に立ち寄る。深夜の学校でジェイクとはぐれた女は、高齢の用務員や理想化されたジェイクのような人物に次々に出会い、現実が溶解する体験に囚われていく。
 翌日の朝、吹雪がおさまり新雪に覆われた学校の校庭で、真実が明らかになる。(Wikipediaより)

 


www.youtube.com


 何も予備知識なく鑑賞。恋人と一緒に実家へと向かう車に乗り込みつつ「もう終わりにしよう」とつぶやく女。「女」と恋人を乗せた車は吹雪の中を進む。ようやく到着した彼氏の実家が、怪しい引っかき傷のついた地下室への扉、ぶるぶる震え続ける犬、調子の外れた両親等々、何かと不安を感じさせるトワイライトゾーン的な雰囲気で、あまり長居はしたくはないタイプの家である。この怪しい実家と時折はさまれる老人の映像から、鈍い私もこいつはなんだか怪しいぞと気づく。このあたりの気持ち悪さは嫌いではないのだが、問題はどっちの方向に怪しいかがわからないことで、彼氏が怪しいのはもちろんだがこの「女」も大概で、着てるものが変わったり仕事が変わったり(顔も変わったような気がする)と終始不安定である。

 ネタバレをしてしまうとこの「女」は老いたジェイクの作り出した幻、空想の産物ということなのだが、そう言われて膝を打つほど納得はできない。劇中で引用されるミュージカルに詳しいともう少しわかるんだろうか。最後に現実のジェイク老人は死んだようで、最後の最後にはジェイクが最もなりたかった自分なのか、何かの受賞スピーチをしている様子が描かれる。何者にもなれなかった者の哀しみという事なんだろうか。もう少しわかりやすくしてほしいというのが正直なところ。せっかくの休日にこの映画を選んでしまった私こそ何度「もう終わりにしよう」と思ったことか。最後まで見たけど。