知ってるつもり――無知の科学

冒頭でビキニ環礁の話が出ていて驚く。島民を避難させなかったビキニ以外の環礁への影響について、放射能の専門家たちが見落としていたことを例に挙げて、人間の知性が聡明であると同時に愚かであるとしている。言いたいことはわかるがアメリカ政府がその影響を知りつつわざとやった可能性もあるのでこの例はあまり適当とは言えない。
閑話休題。著者が言いたいのはその対比である。知っているつもりで知らないことはたくさんある。なぜそのような錯覚を起こすのか?その過程と実際どのように考えるのか?実は考えていないのか?人々がいかにモノを知らずに適当に生きているか人間のように考えるコンピューターをつくる段になって、改めて知っているということ、考えるということを様々な角度から見つめなおしてるんですとかそういう話が主な内容である。知らないことを知ることは難しいが、知らないことを知ると知らないではだいぶ違ってくる。無知の知である。
価値観の話のところで、人の価値観は所属するコミュニティによるところが大きいという話があった。人はコミュニティから知恵を得るという話は何度も出てきたのでさもありなんというところ。海外で暮らしているとこの辺りのことがよくわかる。今日日、海外と日本が大きく違うことは大体の人が知っていることと思うが、モノの違いはすぐに理解できるが考え方の根っこが違う点については理解が難しい。
それから考え方の違いで思い出したが、この本の内容は謙虚さを美徳とする日本人と自己主張こそが正義のアメリカ人では該当する度合いが変わってくるのではないだろうか。なにかと人々は思い込みが強いという話が多く出てきて、それはまあそういうこともあるけど、それはお気楽アメリカ人だけだろうという気がしないでもない。もっともそれは私がそう思いたいだけで最近の日本人は違うかもしれないという気も少しはする。

 

知ってるつもり――無知の科学

知ってるつもり――無知の科学