七人の侍

監督:黒澤明(1954 日)
出演:三船敏郎志村喬加東大介木村功千秋実宮口精二、稲葉義男
内容:野武士から村を守る


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 いわずと知れた黒澤明の大傑作。時は戦国、貧しい村を襲う野武士の集団から村を守るために村人たちは武士を雇う。
 戦国時代というとどうしても正しいかどうか、という疑問が先に来てしまう。といって私が戦国時代に関してどれだけ正しい知識を持っているか、誰も見たことが無いものについて何をもって正しいとするのか、ということはあるのだけども、まあ興味があるので気にしてしまう。
 まず気になるのは、百姓が武士を雇うというのは有り得たのか、ということである。結論から言うと有り得た、もしくは農民と武士はまだそれほど分離していないはず(1586年らしい)なので身分差というのもそれほど無かったのではないか。実際の兵農分離は主に織田家でなされたことは有名な話である。それまでは兵農未分離、つまり有事の際は地所を守るために郎党を率いて馳せ参じるというのが一般的だったわけで、武士と農民が全国的にしっかりと分かれたのは早くても秀吉の刀狩以降であり、「武士は食わねど高楊枝」に代表される自意識の高さは徳川時代醸造されたものである。であれば少なくとも劇中で描かれていたように、農民の依頼を聞いて「農民のくせになまいきだ!」と武士が怒ることは無かったのではないかと思う。もっともその点を無かったことにしてしまうと身分差を越えた友情のようなものも消えてしまうので、これはこれで仕方ない。
 次に気になる点は刀でどこまで斬りあったか、という問題である。戦国の合戦に関しては弓矢・鉄砲・石礫などの遠距離攻撃で勝敗の粗方は決してしまったというのが現代の見方であるが、劇中の農村防衛ということに関しても攻守共に弓矢の出番が少なすぎたようにも思える。もっとも野武士側は決定的な武器として火縄銃2、3丁を所持していた。その命中率の高さは雑賀衆もかくやと思わせるほどで、あれほどの腕前であればそれだけで飯の食い扶持は何とかなりそうなものだがそれはそれとして、結局その虎の子の種子島も劇中では久蔵と菊千代にあっさりと奪われ、前者は武士としての有能さを、後者は戦における団体行動の厳しさをそれぞれ象徴するだけに終わってしまった。つまりあまり活躍したとは言えない。三丁めの種子島は最後にもう少し活躍するのだがそれはまあ置いておくとして、とにかく野武士側はせっかくの種子島をあまりうまく活用したとは言えない。
 話を元に戻すと、元々直接村に乗り込む予定だった野武士集団はともかく、農村側はせっかく村の入り口にバリケードを張ったのだから、そこで野武士の足が止まったところを弓矢なり石礫なりでもう少し遠距離攻撃をしかけて相手の戦力を削ぐことができたのではないだろうか。
 もっともそれでは映像的には映えないだろうから、映画としては劇中で行われた引き込んで各個撃破で良しとしましょう。その際に菊千代は剣豪将軍ばりに刀を土に突き刺し、斬っては変え斬っては変えしながら戦っていたが、当時の刀の使い方としてあれはどうなんだろう、というのが三つ目の謎。もちろん剣豪将軍義輝の場合であれば、畳に突き刺した刀は今で言えば国宝揃い。しっかりと研いであったであろうことは想像に難くない。であるからこそ斬りあいになれば刃こぼれもし、それによって切れ味は落ちる。だからかえる。だが適当に野武士の死体から拾い集めた刀が刃こぼれするような刀だっただろうか?斬るというよりはむしろ鉄の棒でひっぱたくという方が感覚としては近いのではないだろうか?この辺はもう本当に実際の戦国時代を見ることができない限り解けない謎ではあると思うけども、まあちょっと気になってしまったという話。
 ただ実際に映画を見ていれば、そんな私のどうでもいい疑問は跡形も無く吹っ飛ぶ。それほど迫力のある泥臭い映像だった。
 集められた七人の侍の一人、久蔵(宮口精二)がどこかで見た文豪顔だと思ったら「男はつらいよ」の詩子さんのお父さんだった。ちなみにルパン三世石川五右衛門のモデルでもあるらしい。