模倣犯1〜5

宮部みゆきの長編ミステリ。正しくは前半がミステリ、後半がサスペンス。
先週は謎の高熱を出して一日会社を休んでしまったので、高熱にうなされても読める本は、と本棚をながめた結果、読みやすさから宮部みゆきの本を選んだのだが、連続殺人事件だけでおなかいっぱいちょうど良い量である上に犯人側のサスペンス、さらには「まっとうな」被害者たちのドラマ、これらがたて糸と横糸のように織り重なって見事な作品になっており、熱を出しているどころではなく一気に読んでしまった。特におじいちゃんが犯人と対峙して言った「大衆なんていねえんだ」(というような内容)のくだりがやけに響いたのである。
昔から日本中に人が住んでいるということが頭では理解できてもわかっていないというか信じていなかったのだが、それは実はわりと最近まで続いていて、日本国内を旅行したりテレビでよその地方を見るたびに、そこが同じ日本であるかどうか自信が持てないというか、いや当然同じ日本ではあるのだけども、もしかしたら東京もしくは関東ではないどこかが同じ顔をしているのを奇妙に感じていたのかもしれない。それを東京もしくは関東で括ってしまうのは自らの経験の無さであって汗顔の至りだけども、現在は地方に行ってもどこもそっくりなので仕方が無いのである。それでも東京ではない証拠に話してる言葉を聞けばイントネーションが違う、お店に並んでる商品も少し違う。どこに行っても強烈には違わないが、少し違うので奇妙に感じるのである。その感覚は決して嫌いではないので地方に行ったり地方の話を聞くのは楽しい。ちなみにこれが海外になると海外に人が住んでいることについては当たり前の感覚なので、人間とは面白いものですね。つまるところ身の周りの国内と海外の間に、自らの経験の不足なのか想像力の不足なのかわからないけども、大きな空白地帯を抱えているようなもので、空白地帯にお住まいの皆さんには申し訳ないのだけども「ああここも日本なんですね」もしくは「日本て広いですねえ」なんてことを感じてしまうのである。
まあその辺の話は長くなるので脇に置いておくとして、つまり日本中に人が住んでいるということを実感できなかったのだが、そして人はそんな人を阿呆というのかもしれないが、宮部みゆきの小説を読むと、特に今回の「大衆なんていねえんだ」(というような内容)のくだりを読むと、人間一人一人がそれなりにいろいろあってそれが積み重なって日本には一億三千万人もいる、という途方も無い話がなんとなく納得できてしまって不思議だ。
関係ないけども地方に違和感を感じるのは「男はつらいよ」を見すぎてあの映画に出てくるような地方を期待してしまっているのかもしれない。罪つくりな映画である。

模倣犯1 (新潮文庫)

模倣犯1 (新潮文庫)

模倣犯2 (新潮文庫)

模倣犯2 (新潮文庫)

模倣犯3 (新潮文庫)

模倣犯3 (新潮文庫)

模倣犯〈4〉 (新潮文庫)

模倣犯〈4〉 (新潮文庫)

模倣犯〈5〉 (新潮文庫)

模倣犯〈5〉 (新潮文庫)