アテネ経由離島行き

離島に行商に出かけている兄が、思ったより早く帰ってくるらしいという話を従業員から聞きました。前回の船旅の際に酒盛りに興じた船員から「おまえは船長よりえらいんだからどこに行きたいとか早く帰るとか決めていいんだぞ」といわれたという話や出発当日まで散散行きたくないと愚痴っていたことなどを考え合わせてみるに一つの答えが浮かび上がってくるような気もしますが敢えて気がつかないことにします。
さて離島離島と話に出てきておりますが、ご存じない向きにはさっぱりわからないことと思いますので少し説明。わたしのいる国、マーシャル諸島共和国というのは諸島というだけあってたくさんの島から成り立っておりまして、ただし島といってもほとんどは環礁なのですがそれはまあ置いておくとして、私がいるのは首都のマジュロ島。当然他にも島というか環礁はあるわけで、例えば戦前に日本が占領していた頃の首都であるジャルート、水爆実験で沈めた戦艦長門が眠るビキニ、他にクワジェリンとかミリとかアイリンラップラップとかロンゲラップとかゲロッパとかとにかくたくさんあるわけで、それらを「離島」と呼んでます。ちなみに英語でもOuter Island。要するに日本人も現地人も目的地がどこであるかてのはあまり重要ではない上に詳しく知らないものだからまとめて「離島」で片付けているわけですな。
ちなみに離島には日本軍の使っていた砲台や座礁した船がそのまま残っていたりするらしく、中には日本軍の建てた分厚いコンクリートの壁+分厚い鉄扉という思いっきり軍用施設に住んでいる人とかもいるそうです。もっとも残っているのはモノだけではなくて、こちらの高齢者には日本語を話せる方も少なくありません。というかペラペラです。サインを漢字で書く爺さんもいます。しかし彼らの日本語には僅かながらに違和感が付きまとい、それは何故だろうかという話になったことがあるのですが彼らが話している言葉がおそらく戦前の日本語だからじゃないかという結論に達しました。確かに何十年も前に日本語を教えられ、それがそのまま外からの影響を受けることなく残っていたわけですからタイムカプセルのようなもので、それが本当であれば原・日本語と現代日本語の差が違和感を感じる元なのかもしれません。そうでないかもしれません。
とにかくその離島(のどこか)にうちの商品を持っていって商売して、帰りはコプラを満載して帰ってくるというのがイレギュラーながら最近数回続けて行われている離島行きの行商です。本来この商売は離島での商売の権利を持っていないとできないのですが、その権利を持っている人がハワイに行く用事があるので一度代理としてやってくれないか、という話があったため代行したところ、いつまでたってもその人が帰ってこないのでずるずるとわが社が続けている状態です。言うなれば代打・八木が濱中の怪我を待つうちにレギュラーに定着してしまったような、いや八木てことはないけれどもとにかくそんなような話です。ちなみに権利を持つ人がハワイに用事があったのは今年の7月の話。いつになったら帰るのでしょう。