『首塚・胴塚・千人塚 日本人は敗者とどう向きあってきたのか』室井 康成

 あれはハワイのビショップミュージアムだったか、太平洋諸国の展示を見ている時に、「世界の首狩り族」的な展示があり、代表的な首狩りを行う部族として日本と台湾が挙げられていた。台湾はなんだったか近代に反乱的なものでそのような事件があったような気がするので良いとして、日本が首狩り族?と驚いたものだが、よく考えたら笹子才蔵とかさらし首とか、首を狩るのが大好きな民族であったことに思い至った。

 このように普段は首狩り族の末裔であることを忘れているような私でも、関東民であるから神田明神で産湯をつかい、は言い過ぎにしてもお参りは何度もしているし成田山には行かないし、というくらいの矜持はあって、将門の首塚が日本最恐心霊スポットと呼ばれることに暗い喜びを感じるものである。ではその首塚はなぜ首塚なのか、本当に首が埋められているのか、首塚は他にもあるけどその辺どうなってんだ?という疑問に答えてくれるのがこの『首塚・胴塚・千人塚』である。著者は日本の歴史を紐解きつつ、塚の成立前後について詳しく調べ上げた上で、本当に埋まっているかどうかよりも、なぜ本当に埋まっていると信じられているのかという点に焦点を当てて研究しており、そこに日本人の死生観を見出しているところがよかった。

 取り上げられている塚の埋葬者は蘇我入鹿大友皇子平将門平忠度平敦盛平重衡平宗盛、平清宗、源義経楠木正成新田義貞鳥居元忠大谷吉継島津豊久小西行長安国寺恵瓊長宗我部盛親井伊直弼近藤勇大村益次郎江藤新平西郷隆盛等等。巻末の塚リストは圧巻。オススメ。

 

『クマにあったらどうするか ―アイヌ民族最後の狩人 姉崎等』片山龍峯

 アイヌ民族のクマ撃ちとして生きてきた姉崎さんへのインタビューを中心にまとめた本。曰く、クマは人間を恐れているので恐怖心を見せてはいけないとのことです。そらまあそうなんだろうけども、試してみるにはリスクが大きすぎるので、そう理解したからと言って恐れずに立ち向かうことは難しい。それだけ姉崎さんの経験が得難いものであるともいえる。

 クマの息遣いが聞こえるような面白い内容であったが一部重複しているので姉崎さんがすごくくどいおじさんみたいに感じられた。そこはうまく編集して何とかしてほしかった。

 

『批評の教室-チョウのように読み、ハチのように書く』北村紗衣

 『批評の教室-チョウのように読み、ハチのように書く』をkindleで読んだ。

 こんなブログをやってるくらいだから批評に興味はあって、ただし自分が書いているのはただの感想であることは承知の上だけども、文章でも映像でも作品がどのように作られたのか、どのように消化されているのか、はたまた例外的にはどのように消化している人がいるのか等等を知ることができるので好物と言って差し支えない。ブログの購読リストもそういうサイトが占める割合が大きい。

 本書で主張されていることのうち最も重要なのは精読。精読かー。これは私が一番苦手としていることかもしれないのでこれだけできちんとした批評への道は険しいことがわかるのだが、それはそれとしても精読は重要で、他の切り口というかテクニックというようなものはまあふんふんなるほどねーくらいのものである。

 まあそういった精読を重ねた上に生み出される批評であるが、これもまた感想の一つであって、その作品を味わう上で利用された切り口というかテクニックというか価値観、これらと作品のつながりもまた個人の頭から湧いて出てくるものなので、そこらへんも含めて批評というか批評を書く人の個性が出るので、批評ブログを楽しむにはその辺に気をつけると良い。

 

現実のアメリカによるピーナッツへの影響『スヌーピーがいたアメリカ: 『ピーナッツ』で読みとく現代史』ブレイク・スコット・ボール

 実家にはなぜか昔から「しょぼくれチャーリーブラウン」というペーパーバック版があったので、スヌーピーの漫画には小さいころから親しんでいた。ついで兄が同じペーパーバック版を、おそらく中野サンプラザの古本市等で買い集めたらしく20~30冊は今でも実家に置いてあり、私はいわばピーナッツ・エリートであるのでこのちょっと高い本も購入して読んだ。
 曰くピーナッツの作者であるシュルツが漫画の裏に隠したその思想や社会問題への解釈ということで、楽しかった。読んでいたらまたコミックを読みたくなったので本棚を探したら、くだんの「しょぼくれチャーリーブラウン」が出てきたのでこれまた懐かしく読んだ。1970年の出版とあるので50年以上前の本ということになる。久しぶりに読んでみると、チャーリーブラウンたちのお行儀の良さにキリスト教的な哲学に基づいた著者シュルツの思想を感じられなくもない。スヌーピーの魅力というと『配られたカードで勝負するしかないのさ』という名言だけが頭に残っていたが、その他にも天才ライナス、ベートーベン狂いのシュレーダー、暴君ルーシー、そしてどこまでも優しいチャーリーブラウンなどの名キャラクターたちがいたことを思い出せたのは良かった。実家に帰ったらまた全部読み返そうと思う。

 

ドキュメントというより俺エッセイ『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』済東鉄腸

 「海外留学はおろか地元の千葉からもほとんど出ない引きこもりの映画オタクが、ルーマニア語と運命的な出会いを果たし、一回も海外に行ったことがないままルーマニア文学史に名を残した話。」という本書についての説明書きがあったが、厳密にはそうではなく、「一回も海外に行ったことがないままルーマニア文学史に名を残した」著者のエッセイという方が正しいように思える。そのくらい「俺」が前に出てきているということでもある。著者の行動力には驚きつつも、基本的に衒学的、かつ「俺すげえ」という話なので読んでいて疲れる。正直ではある。

 著者がルーマニア語の勉強に利用したという、Facebookルーマニア人3000人に友達リクエストをしてルーマニアメタバースを作るという方法は、私も似たようなことをした(された)ことがあるのでわかるが、国にもよるが大抵の海外の人はそのくらい気にせず相手してくれるので成り立つ。ただそこから語学学習につなげるにはそこからゴリゴリ押し通していくパワーが必要である。

 なお私の知人で外国語の習得が趣味という人がいたが、彼の方法はとにかくその国のエロチャットに入り浸っていれば大抵の言葉はすぐに覚えられるというやり方であった。興味がある向きは試してみると良いかもしれない。